トラブルの歴史は?
みずほ銀行では、1980年代に構築した勘定系システムの老朽化に伴い、2000年に入ってから新しいシステムの構築や統合を大規模なプロジェクトとして始めました。
しかしこのプロジェクトは予想に反してトラブル続きで、2019年に完成するまでなんと19年もの長い歳月がかかってしまいました。
みずほ銀行が旧富士銀行や旧第一勧業銀行、旧日本興業銀行と統合する際に、各金融機関のシステムをリレーコンピューターという仕組みによってつなごうとしました。
しかし大きく失敗してしまい、2002年には大規模なシステム障害が発生しました。
さらに2011年には東日本大震災による義援金の振り込み処理に失敗し、再び大規模なシステム障害が起こりました。
こうしたシステム障害が起こるたびに、みずほ銀行のATMは使えなくなり、ユーザーにとっては不便を感じる機会が頻繁に起こってしまったのです。
投じられた予算はいくら?
みずほ銀行が19年間かけてようやく完成したこのシステム統合プロジェクトには、巨額の予算が投じられました。
当初の計画をはるかに超える規模の予算を必要とし、銀行業界のシステム開発プロジェクトとしてかけた費用はなんと4000億円以上にもなります。
あまりの巨額の予算がかかってしまったプロジェクトを揶揄して、内部からは「まるでIT業界のサグラダファミリア」というニックネームがつけられたほどです。
どうして起こったのか
みずほ銀行が経験したこの大規模なプロジェクトは、そもそもどうして起こったのでしょうか。
もともと銀行は、リテール業務と呼ばれる預金と融資によって利益を上げてきました。
しかし時代の流れとともに、企業の資金調達が銀行からの融資ではなく、株主や債券発行に移行したことによって、銀行のリテール業務は徐々に薄れてしまいました。
みずほ銀行がリレーコンピュータによってつなごうとしたプロジェクトをスタートしたことは、まだ銀行のリテール業務が活発だった時期です。
しかし次第にリテール業務の重要度が下がり、同時にこの勘定系システムの刷新や投資に対するモチベーションも下がってしまいました。
これが、このプロジェクトがなかなか先へ進まなかった要因の一つだと考えられます。
更にみずほ銀行の経営統合では、どの銀行のシステムを採用して刷新と統合を行うかという点でもなかなか上手く先へ進まなかったといういきさつがあります。
そして、時代の流れとともに当初の刷新統合に関する全容を把握している人材がいなくなり、誰も手が付けられない状態となってしまったのです。
銀行の金融システムのトラブルが発生すると、システムエンジニアの責任だと考える人は少なくありません。
しかし、このみずほ銀行の刷新統合システムプロジェクトにおいては、明らかにシステムエンジニアではなく経営の失敗によるものだと考えられます。